伯耆大山 山スキー (行者谷滑降)
【日時】 2004年 1月4日(日)
【コース】 下山キャンプ場駐〜夏山登山道〜6合目〜弥山頂上〜6合目〜行者谷〜元谷〜金門〜下山キャンプ場駐
【天 気】 曇り
【メンバー】 野人(単独)
今回、大山に登るつもりではなく蒜山スキー縦走の予定であったが、朝、蒜山高原まで行ってみたところ、やはり蒜山の稜線は下から見てもかなり雪が少なく、中止にした。鏡ヶ成から象山にでも行って遊ぼうかとも思ったが、「真っ白な大山」が目に入り誘惑されてしまった。 朝は大山の輪郭がはっきり見える天気だったが、だんだんとガスに覆われ、いまいちの天気になってしまった。 この時期に大山をスキーを背負って登る馬鹿はやっぱりいなく、恥ずかしかったが、滑降条件が厳しければ単なる登山だけになっても良いと思い、ボッカのつもりで登った。 ここ一週間、積雪はほとんど無くて表層雪崩の危険は無く、雪も比較的緩んでいたので、6合目位からなら安全に滑れるかな?と考えながら歩き出した。しかし、6合目小屋に着き元谷を見下ろせば、予想以上に積雪は少なく、ブッシュがかなり出ていた。 とりあえず、頂上を目指そう。しかし、ガスは濃くなる一方だった。8合目辺りからは目の前しか見えない状態になり、写真も撮れなく残念であった。風が無いだけが救いだった。 9合目で、後ろから女の人がドンドン近付いて来るので道を譲ったら、その方は有名な「砂田さん」だった。砂田さんから、「大山の風」のたくやさんが少し後ろを登って来られていると聞き、頂上小屋の前で、ドキドキしながら、たくやさんをお待ちした。5分程してたくやさんは現れ、やっと、生で初めてお会いする事ができた。予想通りの紳士で、野蛮な野人は緊張してしまいました・・・(笑) 1時間程小屋でガスが晴れるのを待ったが、やはり駄目で、明日から仕事なので早く帰ろうと下山を始める。小屋を出てホワイトアウトの中、頂上往復して戻ると「○○さん」と呼ばれ、誰かと思うと、うちの会の元気の良い「山女三人組」だった。 小屋の前でスキーをザックに固定したり下山準備をしていたら、「何処から滑るんですか・・」 「一昨年スキーで滑落死亡事故があったんですよ・・・」とある登山者に話しかけられた。昨シーズン、大沢を滑った時も同じような事を言われたが、スキーを持参していると大山ではいつも言われるので、気が重い。一般登山よりはリスクは高く、事故は事実であるので、無理は禁物だ。 スキーは背負って、つぼ足で小屋から下山する。ガスは登りの時よりもいっそう濃くなり低い標高まで下がり、目の前しか見えない。ストックでバランスをとりながらドンドン下っていくと、6合目の小屋に着いてしまった。視界は悪いが行者尾根は登山者のトレースも有るし、斜滑降で降りればブッシュも避けられそうなので、ここから滑る事にする。 小屋の裏から斜滑降で滑り出し、適当にジャンプターンやキックターンで高度を下げていく。フォールラインに向かってもブッシュに阻まれ3ターン程しか、この斜度では出来ない。少し下ると視界が良くなり、8合沢方面はブッシュが薄そうに見えたのでそちらに向かったが、それほどでもなかった。この位置から別山は大きく圧倒される。トラバースして行者谷に戻る。 堰堤近くになると斜度が落ち着き、ブッシュも埋まり、滑りやすくなる。登山者のトレースと平行しながら滑り、下部は何度か横切りながら滑っていく。目の前に堰堤のギャップが現れ、ジャンプする訳にもいかず、階段登高で側壁を登りパスする。下から見ると一目瞭然だが上からは直前まで解らなく、急停止。突っ込めば板を傷つけて泣くかジャンプに失敗して大爆発するかだろう・・。 大堰堤を過ぎ、砂防林道を直滑降。今回、一番スキーが活躍したかな? 林道から下宝珠沢を大神山神社へと滑り、重たくなった雪を苦労して滑って、金門で滑降を終えた。金門からつぼ足で上の参道まで歩いたが、すねまでズッポリと踏み抜き疲れた。 今回は滑降というより下降というような感じであったが、色んな出会いもあり、それなりに充実した 山行だった。 |
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金門 |
下山後、溝口にて |
下山ルート |
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