針の木岳 山スキー (針の木雪渓滑降)
平成13年4月27日(金)〜29日(日)
メンバー 野人
記 録 同上
「名ルートには理由がある。解放感とスピード感にあふれた針の木雪渓」
岳人 2月号
「充実感あふれるダウンヒルが待つ針の木大雪渓」 岳人別冊 雪世界
この見出しと写真の美しさで惚れ込んでしまった針の木大雪渓。それに針の木岳には以前から登りたいと思っていた。
ゴールデンウィークの山スキーは針の木に行ってやろう。1月の半ばから、考えていた。
4月27日 20時、一人で倉敷を出発する。単独行は問題もあるので、新婚のD氏を誘ってみました。彼は興味は示していましたが、その後連絡はありませんでした。この計画をこなせられる人は限られる。仕方ない。単独行は何もが自由だ。それも良い。
徹夜は辛いので、当初29日に登る予定だったが、天気予報では28日が最高の天気で、29日以降下り坂ということで、明日登ることにする。しかし、コースタイムが長い、朝4時には歩き始めたい。すると時間が無い。仕事から帰宅して、大急ぎで飯を食い、風呂に入り、沢山残っていた賞味期限ぎりぎりの牛乳をがぶ飲みして、気合を入れて運転マシーンに変身する。早島から高速に乗り、中央道まで連続運転。以前の養老SA迄無休の記録を更新。諏訪の辺りで腹部が不調になり、みどり湖PAで緊急修理。牛乳がぶ飲みが原因だろう。豊科ICで高速を降り、オリンピック道路を突っ走り、扇沢に3時着。倉敷から7時間だ。事故渋滞と腹部不調のロスタイムがあったので、短縮の余地はまだあるが、程々にした方が良い。予定では4時出発だが、さすがに眠いので1時間ほど仮眠する。
4月28日 朝5時、スキーを背負い扇沢を出発する。気温3度、積雪は1メートル程ある。登山道は何度かつづら折れの車道を横切っていて、車道は除雪してあるので段差があり苦労する。トンネルに入る車道と別れ、樹林をしばらく歩くと、以外に早く大沢小屋に着いた。連休初日なので誰もいなかった。ここでスキーを履き、シール登高に移る。少し進み、適当な所で沢に下りる。既に水流は見えない。目の前に針の木大雪渓の全貌が見える。白馬、剱沢と並ぶ、日本三大雪渓だ。しばらく緩斜面が続き直線的に登って行く。雪は締まっているのでスキーアイゼンを付ける。徐々に傾斜がきつくなり、クライミングサポートを立てるが、そうするとスキーアイゼンが短くなり、一長一短だ。
1時間近く登ると両側が狭まり通称のどと呼ばれる狭い急斜面が現れる。左右からの雪崩のデブリでシールが滑り苦労する。一旦斜度は緩くなり。だんだんと開けてくる。雪質は数センチの新雪となる。蓮華岳側にまだ新しい小さな表層雪崩の跡がある。ここまでは大丈夫だろうが、気持ちのいい物でもない。7時40分、マヤクボ沢出合到着。仰ぐと、右からマヤクボカール(マヤクボのコル)、針の木岳、針ノ木峠と見える。マヤクボのマヤとは昔の猟師言葉でカールのことで、クボとは窪地のことだそうだ。登りは針の木峠に向かう。斜度はきつくなり、シール登行はこの先無理なので、スキーを背負いアイゼンとピッケルに切り替える。針の木峠には雪庇ができ、2ヶ所からの点発生表層雪崩が合体したデブリがあるので、右寄りのダケカンバのある支尾根を登る。稜線への最後の登りは、見た目以上の急斜面で、雪面も一層硬くなる。
9時、針の木小屋の少し右上の稜線に出る。槍穂高連峰がドッカーンと見える。凄い展望だ。稜線の縦走は思っていた以上に緊張しそうだ。稜線上の岩峰をトラバースして再び稜線へと雪壁を登りかけるが、凍っていてとても硬い。ここは危険だ。もう少し巻いて行けそうな所からピッケルを駆使して稜線に上がる。緊張感が走る所だった。この岩峰のトラバースについては、私が当時持っていた一般登山のガイドブックには特に記述は無かった。それと歴史のある針の木峠経由(佐々木成政の針の木峠越えなど)で登りたかった。山行後購入したR&Sの本では「針ノ木峠からの稜線は滑落の危険が高く、スキー登山ならマヤクボカールをつめた方が安全」と書いてあった。やっぱり。積雪期は侮れない。頂上直下にも壁の様な斜面が見えている。近付いて行くとそれ程でもなく、ほっとした。
針の木峠からの槍穂高連峰 | 針の木岳から立山、剱岳 |
10時20分、針の木岳頂上(2820m)到着。大パノラマだ。位置的にも北アルプスの中心部の山なので、そのほとんどが確認できる。圧巻だ。それにしても、雲ひとつ無い最高の天気だ。1日早めて正解だった。黒部湖を挟んで対岸の立山は本当に目の前で、今度滑りたいタンボ平などが詳細に確認できる。ルート図で何度も見た地形がそのまま見える。次回の参考も兼ね、写真を撮りまくる。高瀬湖のバックにそびえる槍穂高連峰、後立山の連なる稜線、威風堂々とした孤高の剱岳、全てが絵になる景色だ。しばらくすると、スキーを背負った人が登って来られた。縦走時に見えていた、マヤクボカールを詰めていた人だ。マヤクボのコルから頂上までの間も、少しイヤラシイ所があったらしい。彼は最新鋭のマテリアルできめていた。彼は頂上直下から滑ると言っていた。そこは滑り出しは50度近い、岩の間に吸い込まれる様なエキスパートの領域だった。当初マヤクボのコルから滑る予定だったが、そこまでは頂上からガレ場を歩いて200mばかり下らないといけなく、イヤラシイ所もあるらしい。第一、200mの標高差はスキーで滑らないと馬鹿らしい。頂上直下は自殺行為なので、縦走時にここからなら滑れると確認した、少し下った所から滑ることにする。
11時40分、頂上を出発する。気温は11℃まで上がり、雪も緩んできた。少し下るとスキー滑降点だ。この場所はR&Sの本によると「滑り出しは35度を超えるが、すぐに斜度も落ちるため精神的には安心できる」と書いてあった。ここから扇沢まで標高差1,400mのダウンヒルだ。スキーを履きマヤクボカールに滑り込む。さすがにジャンプターンでフォールラインに突っ込むことはできなかった。斜滑降で滑り始めたが、スピードは上がっていく。なんとか回しこんで、その繰り返し。不細工な大きなシュプールを残して、カールのモレーン台地に滑リ下りた。
シュプールだらけの針の木雪渓(滑降後撮影) |
頂上で出会った彼は、岩に腰掛け休んでいた。滑りを見る事はできなかったが、正にエキスパートだ。ここからは斜度も落ち着き、マヤクボ沢出合まで気持ちよく滑れた。振り返るとシュプールだらけになっていた。頂上まで登らないで適当な所から滑った人達が多いようだ。出合を過ぎるとデブリ地帯にさしかかり、滑りにならなく苦労する。大沢小屋を過ぎて堰堤を越え、水流が出てきたので滑り易そうな右岸をトラバースしていく。扇沢ターミナルが近付き、スキーを背負い左岸へ飛び石を伝い徒渉する。車道に上がり少し歩いて、13時、扇沢到着。駐車場は一杯になっていたが、閑散としていた。観光客はアルペンルート観光の真っ最中なのだろう。
くたびれたので、だらだらと帰り支度をしていたが、思いつき、混雑する前に大町温泉郷の薬師の湯に行く。温泉に入りさっぱりしたら帰るだけなのだが、前から気になっていた「姫川源流湧水」に行ってみる。ここは白馬村の南端にあり、国道から少し歩くだけの所だ。分水嶺で湿原にもなっていて。水芭蕉と福寿草が丁度時期を迎えていた。道草ついでに、みそらのにある、山スキー中心の店「ラッピ−」にも行ってみる。オーナーは気さくで感じの良い人だった。白馬まで来たので、北陸経由で帰ることにする。渋い蕎麦屋があり立ち寄る。腹が膨れて眠くなり、小谷村で車中泊。
日付が替わり29日朝5時、運転マシーンに変身、稼動する。糸魚川から国道8号をひたすら走り敦賀へ、舞鶴から姫路へと抜け、夕方やっと帰倉した。信州からのオール地走りは初めてだった。高速よりも燃費は良かった。
今回の山行の最大の目的は針の木雪渓滑降であったが、それ以外もトータルで充実していた。5時間以上じわじわ稼いだ標高差1,400mの登り。頂上での大展望。そして、大斜面のダウンヒル。終わってみると、とても達成感の大きな山行だった。心残りなのは、マヤクボカールに中途半端な斜滑降で滑り込んだ事だ。あんな急斜面は思い切ってジャンプターンで滑り出した方がかえってスピードも出なかっただろう。それに爽快だ。やはり絶対こけないジャンプターンが必要不可欠だ。言い訳になるが、最近カービングスキーに夢中になっていたので、積極的に回す滑りを身体が忘れていた。ジャンプターンの重要性も改めて実感した、「針の木雪渓大滑降」でした
装備
ダイナスター アルティプルム180cm + フリッチ ディアミール2
ノルディカ TR12
ピッケル、12本爪アイゼン、ストック、シール、スキーアイゼン、シャベル小、トランシーバー、ツェルト・・・
おまけ
これで滑り足らず、2日程仕事して、連休後半は白馬乗鞍岳に出没。
今度は、家族で出かけて、信州観光しました。
山スキーも、半日程楽しませて頂きましたが、この時は積極的に回して滑ったので、満足出来る滑り収めになりました。
しかし、1週間で信州 2度往復、普通ではありません。(走行距離 2500キロ)
2001年 (平成13年) 4月28日(土) 5時00分 扇沢 出発 5時45分 大沢小屋 7時40分 マヤクボ沢出合 9時00分 針の木峠 10時20分 針の木岳頂上 着 11時40分 出発 12時20分 大沢小屋 13時00分 扇沢 着 登り 5時間20分 下り 1時間20分 |